川淵三郎 2021年2月11日に東京オリンピックのIOC会長に急遽決まった
川淵三郎氏について紹介します。
経緯は森喜朗の「女性は話をするのが長い生き物」と発言し
国内だけでなく、世界中から反感を喰らいました。
そこで今回は新しくIOCの会長に就任した川淵三郎氏の経歴
や嫁・子供などについて紹介いたします。
目次
川淵三郎の経歴やプロフィール
こちらでは川淵三郎の経歴やプロフィールを紹介します。
川淵三郎のプロフィール
名前:川淵三郎
出身地:大阪府高石市
生年月日:1936年12月3日
学歴:三国丘高校・早稲田大学
川淵三郎の経歴
小中学校時代は野球少年で演劇もしていたほどマルチなことをしていた。
高校生の時からサッカーを初めて才能が開花し
早稲田大学時代にはサッカー日本代表として東京オリンピックに出場。
アルゼンチン戦では起死回生の同点ゴールを決めたことが有名だ。
こちらは社会人古河電工でサッカーをしていたときの画像だ。
昔の写真だから白黒ですが、若さが伝わりますね。
1991年のJリーグ発足にも携わっていた。当初は
8チームだった予定を10チームにするなどサッカー界に貢献してきた。
サッカーチームには親会社がいないことが理想だと提案してきた。
その後は首都大学東京の理事長や
日本トップリーグ機構代表理事などを務めスポーツ界
を熟知している人である。
川淵三郎の嫁や子供の画像を公開します!
」
こちらでは嫁と子供について紹介します。
川淵三郎の嫁
川淵三郎の家族構成ですが、
- 嫁
- 娘二人
- 孫3人
という構成になっております。
嫁の名前は康子さんと言います。
出会いは高校時代でセーラー服姿で一際目立つ女性がいたとのこと。
それが康子さんだったのです。
初対面の印象をこう語っております。
川淵三郎氏がいうには心臓を鷲掴みされたような感覚だったそうです。
しかし、高校時代は一言も会話がなかったようです。
大学時代に帰省した時地元でアルバイトをしていて。
電車内で偶然康子さんを見つけました。勇気を出して声かけて
友人のいとこだと分かり安心したのかデートの約束ができました。
しかし、約束の時間に現れず5分経っても現れなかったので帰ってしまいました。
15分後に康子さんがきたそうですが。
また会うために康子さんが乗っている同じ電車で待ち伏せて話しかけたそうです、。
香港のある小学校から毎年僕の誕生日にカードを送ってきてくれる。その時に必ず写真を同封してきてサインをして送り返しているが見たことのないものが多い。何処で手に入れるのか、この2枚の写真もそう。15〜6年前から連続してカードをくれるのはその小学校の伝統行事にしてくれているのかも知れない。 pic.twitter.com/YdsEPqTPH2
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) November 24, 2020
川淵三郎の子供
子供ですが顔画像や名前については見つけることができませんでした。
娘のことについて下記のことを語っております。
去年4月から娘に勧められて毎日30分3000歩散歩するようになった。最初5000歩は楽勝だよと言ったもののいざ歩くと3500歩が精一杯。スマホで歩数を測るのも刺激になる。この10ヶ月で87万歩。最近ゴルフを自重している為歩数を稼げないので目標達成迄3万歩不足。年間達成まであと2ヶ月!頑張らなくちゃ。 pic.twitter.com/8f4shf9ya4
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) February 4, 2021
親子ともに健康オタクであることが分かりますね。
娘のエピソードについては見つけられませんでしたが
孫のエピソードを見つけました。
孫の高校2年拓郎君からの年賀状。左が去年。右が今年。我が家のリビングに貼り付けてある。左は僕が高校三年生の時全国高校選手権で負けた後のスナップ写真を合成したもの。どこから手に入れたのか⁉️そう言えばまだ確認してなかつた。 pic.twitter.com/hY0Vjs9vLr
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) January 5, 2019
右側に写っているのは孫なのでしょうか。
2021年現在は20歳と成人している可能性がありますね。
顔写真が見つかりましたら更新いたします。
なぜ川淵三郎が選ばれたのか!理由が驚いたものだった
なぜIOC会長という大役を引き受けたのかそれは
森喜朗氏から依頼を受けたからだ。
森さんから言われて会長になるのは非常に名誉なことなので、今までやって来られた尽力を無にしないためにも、なんとか力になれればいいなと思っています。とりあえずは今日決定というわけにはいかないので、僕としては「推薦があったらお引き受けします」と言って話が終わった。
正直言って断る状況じゃなかった。名誉なこと。なんとか力になれば!
と覚悟を決めたようだ。家族の大反対を押し切っての決断は見事だと言える。
引き受ける際には以下のことを条件にしたみたいです。
相談役としてぜひ森さんには残ってほしいと。そうでなければ僕としては務めを果たせないのでということに対して、森さんも「どんな形であれ、相談に乗って一緒に成功させるために努力をしていきたい」と言っていただいた。例えば政治的にも動いてもらわなければならない。僕は政治的な動きはできないんでね。難しい話はいっぱい出てくると思うので、そういう時には森さんの政治力を生かしてもらえるような立ち位置でぜひ一緒にやっていただけるなら、お引き受けしますと言った。
大きな仕事が待っているのは3月末に東京オリンピックを開催するかどうかを
判断することだ
防疫体制が一番の問題。科学的な検証をした上でどう開催するか。それが国民に理解されることが最低限の条件だ」
国民に理解される説明をして欲しいですね。
世間はどう思っているのか
川淵三郎さん嫌って書かれてる人多いけどJリーグやワールドカップを誘致してくれた功労者。森さん降ろしは正解だと思う。総理大臣の時も失言のオンパレードだった。僕は森さん降ろしは賛成。
— メガネマン (@lZpIp3MUf28oGZK) February 12, 2021
川淵三郎「僕としては、男女平等の問題に関しては、森さん一人だけということじゃないなと。特に年齢の高い人には、そういう認識はあったと思う。普通は当たり前と思うことも、今はセクハラ、パワハラという時代だから」
五輪という国際的イベントの組織の長には向いてないことを告白しているんだ。— ル・プチ・プランク (@Le_Petit_Planck) February 12, 2021
森喜朗氏→川淵三郎氏まさかの「老々交代」 後任に若い世代を選べなかったリアルな内幕
女性蔑視と騒いでた人達が老々交代とか老害とか言って老人差別し始めるの皮肉聞いてて良いな。
— 葉山 (@sin49786444) February 12, 2021
絶対取らないでしょうね。
だからこそ少しでも開催に向け努力の痕跡見せておかないと、それこそ中止になったら膨大な借金だけ次世代に遺す最悪の状況になりかねないのに、政権もアホだし森喜朗はもっとアホだった…川淵三郎は大丈夫だと思います。
つーか何故最初から川淵で行かなかった!?— gonnosuke (@SakaGonnosuke) February 12, 2021
川淵三郎氏は国際的にも有名で活躍してきたはずなのにあのような状態。国際的に活躍しててもそれだけでは平等についての感覚は育まれないんだなって思った。 #わきまえない女
— パンダ (@panda_pandar) February 12, 2021
まとめ
川淵三郎さんについて紹介しました。
- 若い頃はサッカー選手だった
- 嫁は康子さんでドラマチックな恋愛があった
- 娘は二人いるが詳細は不明
- 孫は20歳前後
- IOC会長を引き受けたのはやらざるを得ない状況だったから
でした。
東京オリンピックが開催され、リーダーシップを発揮することを期待しております。